語るボブル

遊戯王とかシャドウバースエボルヴとかカードゲームについて語るブログです。DCG含め色んな種類のカードゲームの環境で基本的にやってきたのでそれなりです。

構築における細かい枚数は好みってそんなことあんの???

ごきげんようバベルボブルと申しますわ。これを聞くたびにいつも思っていることをなぜか今日思い出したので暇だし文を書く練習がてら軽くお気持ち表明をしていこうかと思います。

 

「(デッキレシピについて)その辺は好みじゃない?」

 

 

 

 

~導入~

カードゲーマーの皆様なら誰は一度は耳にしたことはあるのではないでしょうか。単純に楽しむために行うカードゲームもいいですがどちらかというと勝つことが楽しく勝つことを目的としてカードゲームをしている僕にとってこれを聞くたびにそんなわけないだろアホかって思ってしまいます。もちろんこれがファンデッキを組んでいる際に耳にすることならそんなこと微塵も思いませんわよ。遊戯王でいうとCSに持ち込むデッキ調整の際や、シャドバでいうとRAGEに持ち込むデッキ調整の際に耳にすることが稀にあるのがやばいと思っています。

 

~本編~

※ここから僕のトンデモ理論が展開されます。ご注意ください。

 

カードゲームにおいて例外を除いて引き分けが存在しない以上とあるカードAを採用したデッキと採用しなかったデッキで同対面に対し途方もない回数の対戦を行った場合ほんのわずかにでも勝率に差がでるはずです。実際に行えるのかどうかは置いといて、理論的に考えていくと全く同じ勝率になるはずがなく、また、理論上で途方もない試行回数をこなすためそれが誤差なんてこともありえないわけです。

つまりは勝利を目指す場合における構築に”好み”が存在するはずがありません。これはどんなファンデッキでもそれを使って勝ちたいと思うのであれば必ず構築の最大値があるはずで、数字で図れるものである以上絶対と言えます。

上記の理論に対し、別対面でとあるカードAが弱い場合もあるだろって反論についてもAを採用、不採用のデッキで世に存在する全てのデッキと対面させ勝率を取りそれらをCS分布で加重平均することでどちらが全対面に対して全体的な勝率が高いかが図れます。この計算における分布による加重平均については結果論でしか図れませんが分布予想はおおむね立てることができると思います。普段やっているメタ読みがまさにそれにあたります。

 

先にも言いましたが数字が出る、勝ち負けが存在する以上必ず比べたどちらかは下でありどちらかは上になるわけです


この理論において”好み”が存在するはずがなく、飽くなき迄に勝利を求める僕にとって構築における好みはそんなわけないだろと思う理由になります。

 

~反論~

まあここまで理論展開しといてあれですけど自分でもこの理論は否定できますのでこれに賛同できない人が多数いても当然だと思っています。上記の理論はAを採用不採用ともに、どんな対面でもその場でとれる行動の最大値を取り続けれることが前提条件であり、そうでない場合に”好み”が存在する可能性が生まれます。

どういったデッキになってもその場の最大値がとれる練度になれば”好み”が存在する余地はありませんがそうじゃない場合、これがデッキにあるから回しやすいとか、貫通ルート取りやすいとか。○○し”易く”なる要因になりえるカードが”好み”の存在領域になると考えます。当然時間は有限であるため自分のデッキ、そして全対面に対しての練度を最大値まで引き上げることは現実的ではありません。また、メタ読みはあくまでも予測でしかないため人によってその読みに差はあります。その読みによる採用カードの差異から採用カードに幅が生まれるわけです。トンデモ理論が間違っているとは言い切れませんが机上論であり、そこに到達するのは人間の範囲外であるためにデッキに差、所謂”好み”が生まれるわけですね。

 

~おわりに~

とはいえ、机上でも理想論でも勝率に上下があることは間違いなく何を採用するかに正解があるのも明白です。人が到達できる次元でなくても近づこうとするその行動が勝利への一歩であります。デッキ構築の際は”好み”で済ませるのではなく正解を見つけるために日々努力しましょうというお話でした。ご拝読ありがとうございました。ごきげんよう

 

 

~つぶやき~

理想論が文字通り”理想”であるため自分で否定したものの、この理論を信じています。そのため勝利を目的としたカードゲーム及び択が有限なゲーム(ボードゲームポケモン等)においては”好み”という言葉で済ますのを個人的に良しとしていません。これからも否定し続けます。